みなさんからお声が届いています
映画『君と逢える約束の場所2:愛はかなしみにのせて』を観て
立教大学 名誉教授 濁川孝志
前作同様、観終わった後静かな感動に包まれました。背景に流れる音楽の、なんと心地良いことか。この映画は、観る者を癒し、ある種の瞑想に導く「マントラ」であり「アファメーション」のようです。しかもその内容は、トランスパーソナル心理学が唱えるこの世界の実相、すなわち宇宙の真理を表現していると僕は考えます。
トランスパーソナル心理学は、「この世の全てのモノ、森羅万象は不可分の一体である」と説きます。三次元世界に生きる我々には、感覚として自他の区別や個々の違いが認識されますが、その“分離感”は脳がもたらすある種の錯覚で、宇宙の本質は自他一体であることを哲学的に説明しています。この説明は難解で中々腑に落ちない部分もあるのですが、この映画の中では、この深遠な宇宙観が平易な言葉で分かり易く語られています。
そしてこの分離感は自他を区別するため競争意識を生み、人間社会に大きな禍をもたらします。つまり、万物の一体性を感じ取れず、個々が独立して見える分離感こそが現代社会に横たわる諸悪の根源であり、それがひいては紛争、断絶、隔離、差別、排除などネガティブな現象を生み出しているのです。しかしこれら全ては、“分離意識”がもたらす“負の想念”が生み出した虚像なのです。
そして、この分離感を消し去るための営みが「愛」です。僕らが心に愛の想念を描けば、その意識が素粒子に反映され、この世界は喜びに満ちた豊かで平和な世界へと変容するのです。
『かって人が、花や樹や鳥たちと本当に話ができた時代がありました。その頃、人は自分たちの命が、宇宙の大きな命の一部であることを誰もが知っていました。太陽を敬い、月を崇め、風に問ね(たずね)、火に祈り、水に癒され、土と共に笑うことが本当に生き生きとできたのです。
ところが最近の科学技術のめまぐるしい進歩とともに、人はいつの間にか、「自分が地球の主人であり、自然は自分たちのために利用するもの」と考えるようになってきました。その頃から人は、花や樹や鳥たちと話す言葉を急速に忘れ始めたのです。
人はこのまま自然と語り合う言葉を、永遠に忘れてしまうのでしょうか。それとも科学の進歩と調和しながら、もう一度、その言葉を思い出すことができるのでしょうか。』
かつてムーの時代や縄文時代の人々は愛の想念に満たされ、この映画の中のティナのように花や樹や鳥たちと普通に話すことができました。この映画の中に描かれた世界が、実際にそこに在ったのです。
コロナ・パンデミックを経て、現代社会は加速度的な勢いで変わりつつあります。そして、トランスパーソナル心理学が訴える宇宙の真理や現代科学では説明できないスピリチュアルな事象が世間に容認されつつあります。現代に生きるタケルやティナの努力により、それこそが真理であると、多くの人が気付きつつあるのです。
愛という「プラズマ装置」や「シディの力」は、僕ら現代人にも備わっています。今こそ、我々現代人は自分自身の「約束の場所」を探し、タケルやティナが成し遂げた『愛の世界の顕現』に向け、持てる愛を他者に、そして自分自身にも向け、日々を営んで行く時ではないでしょうか。
今世界は大きな過渡期を迎え、これから進むべき方向の選択を迫られています。この映画のメッセージを心静かに受け止め、我々が真の愛、真我に目覚める時、この世界は正しい方向に導かれるのではないでしょうか。